これまでの話をします(学生時代)

私の事を今まで生きてきた道を振り返って書いてみます。

今日は学生時代の話。

私はデザインの専門学校を卒業しました。
それまでの道。


中学一年生の頃、
何かの部活動に参加しなさいと指導があり、
図工が好きだったので、
友人と3人で美術部に入部しました。

出席番号順の最後の方の3人なので、
三人とも苗字のイニシャルがMなので、
下の名前のイニシャルで書きます。

絵を描くのが好きだったという友人N君と、
楽そうだからという理由で選んだ私とM君。

特に部活動をしないままただ過ごし、
秋ごろだったかクラスメイトのT君が剣道部が、
部員が足りなくて団体戦に出れないからと、
人を探していて、
美術部に一緒に入ったM君を誘って、
一緒に剣道部に入りました。

私は中学生の頃、
体を張って人を助ける消防官や警察官に憧れたので、
剣道部に入る動機にもなりました。

高校では剣道部のモチベーションが低くなったので、
一年の夏休みで辞め、
体を動かすのは好きだったので、
二年からラグビー部に入りました。
でもヘタレいじられキャラが辛く、
二年の3学期で辞めました。

ラグビー部だった頃に、
部活で精一杯になり、
授業中に居眠りばかりしていたので、
学業成績がぐんぐん落ち、
希望の大学に入ることが難しくなりました。

高校生当時目指していたのは、
絵を描くのが好きだったし、
工作や技術の授業が好きだった中学を思い、
デザインの仕事でした。

受けた大学は都市環境デザイン学科でした。
デザインという言葉が自分に初めて出てきたのはその頃。

大学は本命一本しか受験せず不合格。

浪人するかも決めないまま卒業後、
居酒屋でバイトを始めました。

数学を特に苦手としてきたので、
理工の建築よりインテリアだと思い、
インテリアコーディネーターを目指して、
一年後にデザインの専門学校に入りました。

高校生からインテリア雑誌を読んで、
少し知識を得ていたので、
専門一年の前期は優等生でした。

ただバイト先の居酒屋が人が減り忙しくなり、
6連勤とかを毎週していて、
課題について行けなくなったりして、
優等生から劣等生になりました。

そんななか住宅設計課題があり、
プランを考えたり模型を作ったり、
パースを描いたりするのが楽しかったので、
インテリアコーディネーターコースから、
住宅デザインコースに後期から移りました。

その頃は建築で飯を食っていくのは、
憧れであると同時に、
自分には無理かもという気持ちでした。

構造力学ムズイ。
法規ワカラン。
施工しんどい。
もっとパースを描いたり、
模型を作ったりしていたい。

そんな感じで、
建築に進むかも決めずに、
就活も上手く行かずにいて、
二年の10月にCADオペの会社から、
初めて内定をもらいました。

そこに就職するんだろうな。
と思いながら日々過ごしていたけれど、
ネットでその会社のブラックさを書いたものを見つけ、
不安になり内定辞退を12月にしました。

卒業設計課題に取り組む中、
何社か設計事務所に面接に行くも、
これから設計で生きて行くのか、
悩みながらだったので、
結局卒業まで就職先が決まらなかった。

卒業後とりあえず別の居酒屋バイトをして、
専門卒フリーターとなりました。

専門に入学して、
設計課題が楽しくて、
建築に憧れを抱いた頃から、
建築の本を読むようになりました。

それまで本なんて、
ほとんど買った事も無かったような人間が、
最低でも月に2冊以上は読むようになった。

専門を卒業してから、
今までずっと続けている習慣です。

最近では部屋に本が溢れている。

専門を卒業後、
建築に憧れを抱きながら、
フリーターで居酒屋を3年ほど続けました。

その頃からの話は、
また今度書きます。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

それでは、また。

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